小野忠弘さんのこと:映画「天上の花」に寄せて

あとしばらくで、映画「天上の花」が公開されます。12月9日から全国で徐々に巡回が始まります。これは私の地元、福井県三国を舞台にした小説「天上の花ー三好達治抄」(萩原葉子原作)の映画化作品です。主人公は、詩人の三好達治。彼は昭和19年の暮れから24年の5月まで、疎開先として福井県三国に滞在していました。ほかに佐藤春夫や、高名な美術家の小野忠弘などが登場します。

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映画芸術、特集:天上の花

まだこちらでの公開日程は決まっていないのですが、わたしは、小野忠弘さんに、大学時代教わりました。

小野さんは福井大学工学部建築学科に、非常勤講師として長く勤務していました。教わったのは一年だけなのですが、強く印象に残っている先生で、私が美術の道に進みたいと思ったのも、最初は小野さんがきっかけなのです。

 

現代美術作家、小野忠弘さんのこと

東出昌大さん主演の映画「天上の花」に登場する 小野忠弘さんは、原作の舞台である福井県三国に住んでいましたが、映画にもかなり重要な役で登場するとのこと。とても楽しみにしています。

小野さん、と言っていますが、なぜか小野忠弘さんのことを先生と呼んだ記憶がありません。周りの学生も皆、小野さん、と呼んでいました。小野さんの講義は週一回、1コマ100分を2コマ連続の200分講義でした。1年間だけだったので、多くはないですが印象に残っていることを書いて行きます。

 

小野忠弘さんの思い出

授業はほぼ実技で、学生たちに課題を制作させながら、その間いろいろな話をしてくれました。

1.一番覚えているのは、

学生たちを連れて近くの美術館へ行った際、ある彫刻家(たぶん知り合い)の展覧会ポスターに、”不遇の芸術家”、と書いてあるのを見て

「何言ってんだ、俺の方がよっぽど不遇だよ」と大きな声で言ったのを忘れません。半分冗談、半分本気だったと思います。いつも大きな声で元気よく話してくれて、毎回とても楽しい講義でした。

おそらく東京にいたら、もっとずっと知名度は高くなっていたはず。終生、福井にいたのは何故なのか、謎です。

 

2.小野さんは東京美術学校(=東京芸大)出身なのですが、郷里の青森から東京に出て来て受験した時のこと、

実技入試の際、受験生全員に食パンが2枚ずつ配られました。

こんな美味いパンをくれるとは、なんて親切なんだ、なんていい学校なんだと、感激して早速食べ始めた、でも気がついたら誰も食べていない、周囲を見たら、なんとパンで、デッサンの線を消している。それで初めて、食パンを消しゴム代わりに使うことを知った、と。青森では誰もそんなことを教えてくれなかったと。(今は練りゴムを使います)

3.小野さんがよく言っていた言葉。「アンビバレンツ(反対感情対立)」

同質なものばかりで安定したところに異質なものを混ぜ込むのが面白い。調和だけではつまらない、危険なものは美しい、とよく言っていました。

何度も、「危険なものは美しい」、というので、学生たちの間でちょっと流行語みたいになりました。みんなで高いところに乗っかって、片足で立ったりして、きけんなものはうつくしい~!!と叫んでふざけていました。

4.当時、小野さんが好んでいたもの(その頃小野さんはたぶん60代)

縄文土器と、西洋の古い白黒映画

近くの郷土史博物館に何度か学生たちを連れて行き、縄文土器について解説。その造形にとても惹かれると言っていました。弥生土器はシンプルすぎておもしろくない、など。

西洋の白黒映画は、エイゼンシュテイン、スタンバーグなど。映写機を教室に持ち込んで何度か見せてくれました。巴里祭、パリの屋根の下、第三の男。女優ではマレーネディートリッヒがお好きだったらしく、よく名前が出てきました。

5.絵について。

白と黒のバランスをよく言っていました。縄文土器を好んでいたのも、その複雑な形によってできる立体的な陰影が面白かったのだと思います。

そして、君たちは、何を描いても何を作ってもいいけれど、基礎はある程度必要。絵では、色を塗る前に、まず白黒で明暗を考えると全体のバランスが良くなる、と。

 

6.小野さんが講師をしていたのは工学部の建築学科だったので、多くは建設会社に就職するのですが、建築デザイナーやグラフィックデザインに進む人もちらほらいたためか、ある程度専門的な内容もありました。

ある時、粘土で作った手の彫塑をやたら褒めてくださったことがあります。
「小野さん、褒めすぎだよぉ」と思ったもののめちゃくちゃ嬉しくて、心の中でガッツポーズ。

ひょっとして、わたしすごいのでは??なんて勘違いして、すっかり美術が好きになり、その方面に進みたいと密かに考えるようになりました。

と言っても私のスタートは30代半ばでかなり遅かったですが、曲がりなりにも、今こういう仕事をするようになりました。お元気な時に、こんな仕事につきましたと伝えておきたかったです。

 

小野忠弘さん。番外編、馬越祐一さん

天上の花に全く出てきませんが、小野さんや三好氏と交流のあった画家、馬越祐一(まごしゆういち)さんのことも少し。

(私の父は馬越さんに10数年油絵を習っていて、その父から聞いた話です)

馬越さんは愛媛の人で、福井県越前市の旧制中学で英語教師をしながら、油絵で高い評価を得た画家でした。

戦後、勤務先が新制高校(私の出身高校でもあります)へと変わった際、馬越さんが、三好さんに校歌を作ってもらおうとお願いしに行ったところ、すでに他校の校歌を引き受けてしまったので、申し訳ない、知り合いにふさわしい人がいるから紹介します、作曲家の手配も任せてくださいと、佐藤春夫氏と大中寅二氏を紹介してくれたとのこと。

馬越さんは、佐藤氏に福井まで来てもらい、案内したのですが、佐藤氏は

「福井の食べ物はうまいね」と。他にも色々言ったらしいのですが、笑、ちょっとここには書きません。

佐藤春夫の歌詞は、一見どうということのない、平明なありがちな語句ながら、言葉の魔術というのか、最後の4番までくると感極まってしまって歌えません。大中寅二の「椰子の実」風のメロディーの魅力もあって、素晴らしい校歌になっています。

福井県立武生高等学校校歌

馬越さんは小野さんや三好氏と飲み友達だったそうですが、住まいが少し離れていたためでしょうか、あまり交流の記録は残っていないようです。絵画作品では麻生三郎氏から高い評価を得て、再三、東京に出てくるように誘われましたが、やはり小野さんと同じように、ずっと福井にとどまっていました。交友関係が広く、生物教師だった父に、今西錦司さんを紹介する、等とも言っていたとのことですが、叶うことなく割と早くに亡くなられました。

福井県三国の東尋坊には、三好達治の文学碑もあります。三国は遠足などで何度か行っているので、以前見ているはずなのですが、記憶にありません。この映画を機会にぜひしっかり見てきたいと思います。

馬越祐一作品

馬越祐一さんの油彩画、父が大切にしていました。

番外編:天上の花を知ったきっかけ

原作の小説を知ったきっかけは、最初は、地元が舞台だというので、母が買ってきて読んでいたからです。母はちょっと怒っていました笑。戦争中の出来事なので、極貧とか言われるのは心外だ、と。疎開経験のある母は、戦争中なんだからみんなあんなもんでしょう、というわけです。電気も水道もないと言われても。。。

この小説は、三好達治の妻になった、慶子さんの手記、ということになっているのですが、作者の萩原葉子さんによれば手記の部分は創作とのこと。実在した人物が多く登場するので、実話と信じる人もいて、三好達治がこんな人だったなんて ! とショックを受ける人もいるようですが。

ですが、これは物語の中の、三好達治です。映画ではどのように描かれているのか、楽しみです。そして、小野忠弘さんが、映画の中でどのような役割をするのかも楽しみです。
のちに出た、蕁麻の家、は、ほぼ実話だそうです。ところが、天上の花を創作と言ったせいで、蕁麻の家も、作り話だろう、という人が出てきて困った、という記事を読んだことがあります。いろいろややこしい。

でも事実かそうでないかよりも、私たちは、物語を純粋に真剣に楽しみたいと思います。

そして、近いうちに三国の小野さんのアトリエ、と東尋坊の三好達治文学碑を見てきます。

**こちらのサイトも、ちょっと文字が小さいですが、とても面白いので、ぜひ読んでみてください。
三国高校で小野忠弘さんの授業を受けていた方の思い出です。
小野忠弘先生の授業
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